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項目 内容
ID J1001464
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1812/12/07
和暦 文化九年十一月四日
綱文 文化九年十一月四日(一八一二・一二・七)〔江戸・神奈川・保土ケ谷〕⇨八日
書名 〔我衣〕「日本庶民生活史料集成十五」
本文
[未校訂]六九 十一月四日八ツ半時大地震。所々の土蔵落たり。
品川よりかな川辺至て強く、家多く倒れたり。怪我人
も多きゆへか、町々御詮義あり、触廻る。三十年来の
大地震のよし。其夜九ツ半時又ゆる。昼よりは小し。
され共昼のに驚し気さめず、周章したる人多し。浮説
さま〴〵。予は其日京伝子の宿所に有りて、二人手をとりて逃出せし也。
○武家町家に限らず、ぬりごめ、土蔵のたぐひ大方破損し
たり。かな川辺は宿の中、家過半倒れ死亡の者も数多
あり。井戸の水皆濁る。又所により、悪しき水の清水
になりたるも有り。往し天明二年の地震よりは、よほ
ど強し。五十年来おぼへず。廿日比迄は、たヾ地震の
うわさのみにて余事をいわず。
出典 新収日本地震史料 第4巻
ページ 330
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
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版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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