[未校訂]しかし、寛政二年十一月二十七日夜の大地震につき、蕨
宿年寄茂右衛門がその日記に、「扨又、昔の地震咄を聞に、
先年元禄十六未の年十一月廿二日の大地震以来の大ゆり
なり。又其次、天明二寅年七月十五日夜五ツ時大地震、
是にも劣らん地震なりと評判に及べり」と述べている点
から、その一端は推察できる。なお寛政二年の大地震の
場合、蕨宿内の者はみな戸外へ逃げだし、諸所に堂塔・
墓所の石仏等の顚倒と破損、酒造屋の大損亡、土蔵その
他の損傷等が出たが、この余震は十二月下旬まで続いた。
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項目 | 内容 |
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ID | J1000159 |
西暦(綱文) (グレゴリオ暦) |
1791/01/01 |
和暦 | 寛政二年十一月二十七日 |
綱文 | 寛政二年十一月二十七日(一七九一・一・一)〔蕨・川越〕南関東・甲府・飛驒⇨二十九日 |
書名 | 〔蕨市の歴史 二〕 |
本文 |
[未校訂]しかし、寛政二年十一月二十七日夜の大地震につき、蕨
宿年寄茂右衛門がその日記に、「扨又、昔の地震咄を聞に、 先年元禄十六未の年十一月廿二日の大地震以来の大ゆり なり。又其次、天明二寅年七月十五日夜五ツ時大地震、 是にも劣らん地震なりと評判に及べり」と述べている点 から、その一端は推察できる。なお寛政二年の大地震の 場合、蕨宿内の者はみな戸外へ逃げだし、諸所に堂塔・ 墓所の石仏等の顚倒と破損、酒造屋の大損亡、土蔵その 他の損傷等が出たが、この余震は十二月下旬まで続いた。 |
出典 | 新収日本地震史料 第4巻 |
ページ | 15 |
備考 | 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。 |
都道府県 | 埼玉 |
市区町村 | 蕨【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる |
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