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項目 内容
ID J0900201
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1707/10/28
和暦 宝永四年十月四日
綱文 宝永四年十月四日(一七〇七・一〇・二八)〔東海以西至九州〕
書名 〔長溝村開発摘記〕○静岡県▽
本文
[未校訂](桑原家文書)「浅羽風土記」
宝永四年亥十月四日、昼九ツ時分にも候半や、地震淘出
す、其刻田舎風にて諸人昼茶たぎり呑候節にて、家々驚き
先づ焚火に水を打ち外へ逃出、藪の内には竹の根あって、
地裂ざる由聞伝え、大抵藪の内へ這入り、竹に取付居候へ
ども、弥々強く揺ぎ候程に、取付候竹をも揺離され、例へ
ば淘鉢へ団子を入れてゆるが如く転び倒れ、初の程は親は
子の手を取り、老人は若き者に助けられて、家を逃れ去り
たれども、次第に強くゆる程に、親も子も、老いたるも取
組候手を離され、東へ寄らんとすれば西へゆり倒され、所
地裂て溝となり、井戸或は溝より大水をゆり出し、西の流
れ川其節渇水に候処に、俄に水湧き出し川一杯に湛申候
由、新田にて地震に逢候人々の咄に候、唯天地も一ツにな
るかと心細き所に、何所とも知れず一声に響渡り、海山一
度に崩落るやと人々肝を消し、如何なることならんと驚見
るに、石据の家々皆一同に倒れ其響也、空の曇は家々倒候
時の煤にてありける。倒れざる家村中に二三軒ばかり残り
候、掘立柱の家は、傾く迄にて倒れ申さず候、拙者事其時
八才の年にて、其節早にても候や、西の井溝干上り、友同
士四五人、井溝の中にて飛びつ跳つ遊居候処に、右地震揺
出候、偖其前の年大風俄に吹き来る。是は竜にてあるべし
とて、家々にて戸障子を差候を、我等覚えにより是は竜揺
るべしと、垣に聢と取付居候所に、両手を揺離され顚倒な
され罷在り候処に、母は我等を案じて門を出で、我等を見付
け走付かんとすれ共揺り倒され、一足這って道畔へ倒れ、
我等も母を見付け、母の方へ行かんと這う程に、漸く一所
に這寄り、手を取り揺られ居候処に、何方よりか参りしに
や、横須賀町の柄杓売来り、之も揺り倒されて我等門の藪
畔へ這寄り候、其内に漸く地震も止み、心安くなり候、偖
内へ帰りて見るに、家倒れ申に付、火の元心許なく、囲炉
裏の屋根を切破り、火を改め水をかけ申候、西隣は家倒れ
申さずに付、彼方へ来り食物など、給居候へ共、其夜も揺
り候間、家の中には居られ申さず、前の庭に出で渋紙を露
受けにして、其夜は其下に寝て、其後は西隣の屋敷の庭に
柿の木一本あり、此木に露受致し其下に寝ね、其後は手前
裏藪岸に、地葺に小屋を作り、其年中この内にて暮申候、
其後掘立小屋を作り住居致し候、其節は礎の家には必ず居
るなと申事に候、右の通り肝を消罷在候処に、又十月廿四
日地震大に揺り、夫れより後は、一日の中に二度三度づつ
昼夜揺らぬ日はなく、揺り申候、又或る日の夕暮に、大に
西の方にて、ざわ〳〵鳴る音致候、諸人不審を立候、其後
承候処に、西流れ川へ汐差込候浪の音にて候由、是も地震
揺り候に付ての事なるべし。
右亥十月四日より其暮迄揺り、其後二、三年が間小地震は
揺り申候。
出典 新収日本地震史料 第3巻 別巻
ページ 180
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
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市区町村

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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