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項目 内容
ID J0805145
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1782/08/23
和暦 天明二年七月十五日
綱文 天明二年七月十五日(一七八二・八・二三)〔小田原〕江戸・関東・甲斐・名古屋
書名 〔諸国地震記〕国立公文書館
本文
[未校訂]同(天明) 二寅年 甲州異変
七月十四日夜五ツ時大地震陶ル別而富士山陶岩々崩れ大
石落石小屋不残潰れ参詣の人皆此石ニ当りて死ス或ハ岩
より落死ス生て帰る者ハ稀也百人壱人漸生残る是も半死
半生也予近き友と富士詣大山石尊様へ参詣し不思議の命
助り細〳〵の噺聞候処先達而私共参詣の時分大地震の様
ハ十八日に相州ゟ国人趣き竹の下に泊り申候夕飯一盃給
候□大地震陶り出し何□我□逃出申候然処供の者□
足ニ而家屋根落尻を屋根ニ而押へられ漸の事はい出し申
候其家□旅人女是も屋根ニ而首筋をおさへられ怪我致
し竹の下宿家拾七軒潰申候偖其夜宿の中へ□三人手
と手を取かわし今死す事と唯念仏一心に唱へ立ても寝て
絶られす草や薄に取付ひれ伏し居候得共大陶の度々南や
北へ返され漸其夜を明申候明方ニ成候得ハ少々小陶ニ相
成申候夫ゟ飯を少し食し帰村ニ趣候得共食事の売無之甚
難義致し桃抔給へ菓子を給はられと休め藤の木迄□申候
三坂峠の〓(麓カ)山梨郡也
今頃ハ村方なとの何様ニ成候哉と案じ来候処藤の木にて
細〳〵様子を聞安堵致し候と噺候
富士山に死人多殊ニ御師へ付候旅人ハ御□ゟ翌十五日暁
山江登り尋候頃十五日夜五ツ時大陶大風にて□の松明一
度に打消其夜又々人死事何十人にて数不知となり
出典 新収日本地震史料 第3巻
ページ 863
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
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版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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