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項目 内容
ID J0805136
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1782/08/23
和暦 天明二年七月十五日
綱文 天明二年七月十五日(一七八二・八・二三)〔小田原〕江戸・関東・甲斐・名古屋
書名 〔上野原町誌 上〕○山梨県
本文
[未校訂]また七月のはじめからたびたびの地震で、「七月十四日夜
五ツ時大地震ゆり出し、東西南北一時になり渡り(災害史
によればマグニチュード七・三)、同十四日より十五日夜
五ツ時ニ夜大地震致此時諸国一同難義仕候」(大神田進所
蔵文書)なおこの地震は相模地震と称し、小田原では小田
原城の櫓(やぐら)が折れ町家社寺は壊滅的損害をうけ
て、古老も八拾年来(元禄十六年の大震災)の大地震と語
り合ったという。
出典 新収日本地震史料 第3巻
ページ 862
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 山梨
市区町村 上野原【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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