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項目 内容
ID J0801273
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1715/02/01
和暦 正徳四年十二月二十七日
綱文 正徳四年十二月二十七日(一七一五・二・一)〔越前・大垣・名古屋〕京都・奈良・上野・信濃・越前⇨正月五日
書名 〔鸚鵡籠中記〕○名古屋
本文
[未校訂]○今夜電間光り天近しと云々。深更乾より鳴来て、地震。
八年先のよりあたまから強して短し。ゆり仕廻ければ、
八つの鐘聞ゆ。夜明迄二度ゆる。少づつゆるは度々な
り。母とともに中門の内へ出。其後奥のこたつに母とと
もに居し、側に提灯ともし置○予丑過役所へ出。肝煎并
仲ま皆出。道路提灯甚多し。
○予座敷西の堺舎塀、北にて四五間崩れ、御隠居屋の東の
塀崩。土蔵の南の壁少破ひゞき、二階の棚上の本箱のふ
た落。本も間々落。其外道具等落ころんで、宅よりは甚
ゆすり強と見ゆ。後に聞合するに、所々の土蔵多く壁い
たみ破れ多し。広井山口処々の舎塀、十に四五は崩る。
一々不可枚挙也。
○御城内別事なし。但し御屋形前南の方、石垣の置石少々
落。其南の方は巾五六間下へ、八九尺斗落。太こ矢倉の
前のこまよせ際の大地、細裂て西鉄御門前迄に至る。八
年前のごとし。
○加賀のいせ参りの咄し。廿七日の夜、越前の福井にとま
りしに夥敷鳴動、屋もよ程くづれ、町々外へ出て、夜明
し、旅人ははたごくわず、湯漬にて立しと云々。加越大
地震と云々。○京にては、屋外へも出さるほどの地震に
てつよからす。
二十八日 時々鳴分
二十九日 深更二三度鳴動
正徳五年一月二日 寅過鳴動、旧冬の大地震以後、毎夜此
時刻、鳴動必有
三日 丑前鳴動
五日 今夜より鳴動なし、但し丑前後此度も毎夜鳴る、ゆ
りはなし。
出典 新収日本地震史料 第3巻
ページ 129
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 愛知
市区町村 名古屋【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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