[未校訂] ㈡ 元禄の津波 元禄十六年十一月二十二日、本州の地
大いに震い、夜東海嘯き、波濤陸に浸水し夷隅、長柄、山
辺、武射の四郡沿岸の村落その害を蒙り、家畜を斃し家屋
を奪い去り、溺死するもの幾千人その死屍を集収し各所に
埋葬す最も著しきもの六墳あり。夷隅郡久保村東方の砂漠
中の千人塚、一松村本興寺境内供養塔、幸治村の無縁塚、
牛込村の津浪精霊塚、四天木村の津浪塚、松カ谷地蔵堂境
内の千人塚などである。
本興寺供養塔碑記に『維元禄十有六年癸未十一月二十二
日之夜於当国一松、大地震尋揚大波。鳴々天乎、是時民屋
流、牛馬斃、死亡之人不知幾千万矣。今也帰当寺有縁死者
千名簿勤、回向於後世者也。』とある。当寺境内には三百
八十四名の屍が合葬されたと伝えるが、鷲山寺の記録には
一松郷の死者八百四十五人とある。現在当時の木牌には溺
死者名を記載してあり、また過去帳の一部も残存してい
る。