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項目 内容
ID J0603230
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1700/04/13
和暦 元禄十三年二月二十四日
綱文 元禄十三年二月二十四日(一七〇〇・四・一三)〔壱岐・対馬〕福岡・久留米→二十五・二十六日強震、壱岐⇨四月九日
書名 〔壱岐二島説は真実か〕林徳衛「島の科学 十二」
本文
[未校訂]壱岐島における地震に関して真実の、事実の記録と見られ
るものとして、華光寺の「前鬼後鑑点鬼簿」という天文年
間頃からの寺の記録の中に(目良亀久氏提供)
「当国地震事」と題して次のように述べられている
「元禄十三(一七〇〇)辰暦二月廿四日暮六ツヨリ夜半マ
デニ八度其内大ユリ一度、同廿六日[明|アケ]五ツ半ヨリ四ツ迄
七度其内大ユリ三度、村里石垣墓所尽ククヅレクユ、屋
宅大半クヅル、同日同夜六度其内一度大ユリ、同廿七日
朝六半ヨリ大ユリ三度小ユリ六七度、同廿八日三四度、
同廿九日暮六ツ二三度、此間村里海辺の諸人尽ク上地
の平地ヲ求メ、コヤヲカケ命ノ用心スルモノアリ、前
代未聞ト申、牛馬家ニ不置、平地ヲエランデ引キ出
ス、同年三月朔日大雨降ル、己上一七日ノアレニ人ミナ
(別本「驚耳目」とあり)一驚ス、耳目足ノフムトコロヲ知ラス、三月□日五日ニ
一辺、六日ニ一辺スコシヅツユリ、同年四月二日中ノユ
リ一度但ヒルノ九ツ時ヨリ同九日迄ニ五六度ユスリ」
とある
今一つ、この華光寺の点鬼簿にある地震記録を更に裏付け
するかのような、別のも一つの記事が挙げられる。筆者の
不学を恥かしく思う次第であるが、これも目良亀久氏が指
摘されたものである。*壱岐名勝図誌巻之十二、初山村所
載、鏡岳大権現の記事の中で、「東山天皇元録十三年二月
廿四日夜より三月卅日(別本「十日」)に至り大地震の時鏡岳上宮の社地崩
る。故に今の地をならして六月より宝拝殿造営始まり八月
に至って成る。十三日上棟あり、于時国守源任朝臣押花、
祠官榊原形部の棟札あり、是今の社地に建てしはじめな
り、上の社地を古社といふ、頂上に僅かのこれり」と、
**続風土記や名勝図誌に数多く述べられている地震関係の記
述の中で、この鏡岳大権現のところだけが、華光寺の点鬼
簿と共に真実の地震記録だと考えられるものである。現地
の状態もこの記録の通りで古社の地は今辛うじて頂上に跡
を留めていることを確かめ得た。
*文久元年(一八六一)の著作
**壱岐国続風土記で寛保二年(一七四二)の著作
出典 新収日本地震史料 第2巻
ページ 520
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
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版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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