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項目 内容
ID J0601965
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1677/04/13
和暦 延宝五年三月十二日
綱文 延宝五年三月十二日(一六七七・四・一三)〔陸中〕 東北全般→津波あり、⇨四月三十日
書名 〔万覚書〕平藩
本文
[未校訂]十五日
「小名(異筆)浜」
一去ル十三日辰ノ上刻ゟ塩之指引不同ニ罷成候、御米□之
申所之磯、大磯少之内ニ塩之さし引仕候而十四日之昼迄
ニ十度斗さし引御座候、尤中作下川も同前ニ御座候、十
五日ハ波も居申候而海しつかに成候由、小石、米野与右
衛門方ゟ浦奉行方へ注進有之候
一、小名加五左衛門方ゟ注進之覚
○当十三日之朝卯刻ニ常々十五六日比潮干申候よりハ弐
三尺も能干申候、間もなくたゝへ半町程岡へそろ〳〵
と御押上ケ舟なともしつかニ打廻し申候常之波立之様
ニハ無御座候、少間有之、又最初之通り潮干申候由忰
とも罷出あわひなと取申候而磯ゟ上り申候所ニ又十分
ニ塩たゝへ申候
昼迄ニ五六度もさし引有之候、五六年已前も同様ニ有
之候へ共、其節ハ潮二・三度さし引有之候、此度之様
ニ波ハ多ク上ケ不申候、昔津浪より候時分か様ニ有之
候様ニ申伝候由ニ御座候、右之趣江戸へ申上ル
十七日
一、小名浜ニ而去十三日十四日塩指引不同ニ在之付北筋塩
(夏井川以北)のさし引聞ニ遣候所ニ常ニ替りたる義無之様ニ存候、
然共気付不申候故替りたる義ハ不存候由申越候、此趣
江戸へも可申上事
出典 新収日本地震史料 第2巻
ページ 379
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
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版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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