[未校訂]○殿堂篇の章、奈良市唐招提寺東塔。
東塔者平城天皇(嵯峨皇帝之御宇也)勅建之也、大同五
年従五位下江沼臣小並等為其勅使四間四面高一十二丈五
層之大塔也。(中略)其後時々破壊則修輔之今尚存焉其
寛文中大地震九輪水炎折而堕地、其先宝生院俊盛勧化道
俗加修理也。
                
            西暦、綱文、書名から同じものの一覧にリンクします。
| 項目 | 内容 | 
|---|---|
| ID | J0601206 | 
| 西暦(綱文) (グレゴリオ暦)  | 
            1662/06/16 | 
| 和暦 | 寛文二年五月一日 | 
| 綱文 | 寛文二年五月一日(一六六二・六・一六)〔山城・大和・河内・和泉・摂津・丹波・若狭・近江・美濃・伊賀〕駿河・三河・信濃・伊勢・武蔵→十二月まで余震 | 
| 書名 | 〔招提千歳伝記 下〕▽ | 
| 本文 | 
                 
                    [未校訂]○殿堂篇の章、奈良市唐招提寺東塔。 
            東塔者平城天皇(嵯峨皇帝之御宇也)勅建之也、大同五 年従五位下江沼臣小並等為其勅使四間四面高一十二丈五 層之大塔也。(中略)其後時々破壊則修輔之今尚存焉其 寛文中大地震九輪水炎折而堕地、其先宝生院俊盛勧化道 俗加修理也。  | 
        
| 出典 | 新収日本地震史料 第2巻 | 
| ページ | 227 | 
| 備考 | 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。 | 
| 都道府県 | |
| 市区町村 | 
版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)
IIIF Curation Viewerで開く
地震研究所特別資料データベースのコレクションで見る
検索時間: 0.001秒