[未校訂]一、慶安弐己丑年六月廿日、夜子ノ下刻に、大地しんゆり
候、大地か方々にてわれ候所多し、此年ハ、以上七八拾
度もゆり候、此大地しんの事、京ノきたの天神へ参候
道、つほきうり候所にて、六月廿三日ニ聞候、江戸にて
ハ、くらやみか入たると申候、此大地しん、かけ川迄ゆ
り候、京ゟくたり候時、道々聞候か、かけ川ゟ上方ハゆ
らすなり、但、時節之地しんゆり候ニ付而、江戸にての
ふうぶんに、京のひえい山ゟあたごへ、ひかり物とひ行
候事、二条御城ゟ、ちやうちん二つつゝ東の方へとひ行
事、清水にて、人数百人計のこゑにて、夜々ときのこゑ
つくる事、いなりにても、時のこゑつくり候事、らしや
うもんにて、女のこゑする事、やわた八満の石どうろう
壱つもなき事、目もなき坊主夜中に京中をはしりありき
候事、ひえい山のさる千ひき計こうず川へ身をすつる
事、四条町かなや茂左衛門むすめ、一夜の内にかみ皆し
ろく成候事、歳ハ十五さいと申候、五りやうの松、風も
ふかつしておれたる事、しやうぐん塚めいとうする事、
以上十一ふしき有と申て、江戸中にてかみに一つ書に申
ふらし候か、皆いつわりにて候、此時京にてふうふんな
し、是をかき候事ハ、又いつわり以来云時、是をおもひ
出し、まことゝおもハぬため也