[未校訂]○慶長元年閏七月十二日子刻大地震土裂水出京都伏見の大厦
巨宅及民屋破れて死人数を知らす洛陽大仏殿崩れ仏像破す
伏見城殿舎倒崩る是に依て上﨟女房七十三人中居下女五百
余人横死す秀吉ハ恙なし
公(東照宮)の御館門楼破倒して御家人加々爪隼人正死す
愛宕山の坊舎こと〳〵く顚倒して此山に上け置所の諸家の
名物の茶壺皆おし損して紛失す松平家忠日記追加
○慶長元年閏七月十二日の夜京都大地震有之土裂水湧て伏見
城中殿舎悉く倒れ侍女婢妾死する者五百七十余人也かゝる
天変いかなる事にや天下の政あたらざる故に鬼神之悪みを
得給ひてかゝる事を示さるゝにやとおもふ人もありけれと
も太閤の威をおそれて言に出す者なかりけり神君の第にて
も門楼顚倒して加々爪隼人正圧にうたれて死けり 東遷基業
○慶長元年閏七月十二日大地震伏見の城石壁垣殿閣等悉く破
却して圧死するもの多し 此大地震に城中の侍女等多く死
太閤徳善院玄以を召して死する所の侍女奴婢等の代りに京
大坂当地の遊女の中容顔すくれたるを召置給仕さすへし近
日異国の使来らんに盃酌さすへしとの給ふ
是によって所々より遊女を選て召置く同地震に洛東の大仏
殿破損し仏像も破裂す太閤かしこに来臨あって破壊の仏体
に向て怒て曰く仏を安置するハ国家の太平を思ふなり然る
に今其身体をたもつ事たにも叶はす守護何の益かあらんと
て自ら弓箭を取て射給うと云々 慶長記
○慶長元年七月十二日の夜二三百年以来つひにおほえさるほ
との大地震洛中ハ申に及はす五畿内悉くゆり京大坂在々所
々の民家一宇も残らす倒れたり押にうたれ死するもの数を
しらす高麗陣日記
○後陽成院御宇慶長元年丙申七月十二日の夜子午の時大地震
して諸国以ての外といへとも別して五畿内甚しく洛陽の中
死人の数四万五千其余は其数を知らす津国丹波播州大和山
城近江和泉河内一段甚しくゆる十二三日すこしも間なくゆ
る後代のためかくのことく書おくもの也檜垣常基古今雑事記