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項目 内容
ID J0502522
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1585/01/18
和暦 天正十二年十二月十八日
綱文 天正十三年十一月二十九日(一五八五・一・一八)
書名 〔「にほの海の変貌」琵琶湖水位の変動をめぐって〕古
本文
[未校訂]川与志雄「近江第三号」(一九七三)近江考古学研究会
一、「改訂近江坂田郡志」第一巻(三六九、三七〇頁)には
「神照村大字祗園(長浜市祗園町)の西に古へ西浜村と称
せし村ありしが、曾て地震により陥没して村の大半を失
ひ、その後、今の大字祗園及び長浜町に移住する者あ
り、是等の者は何れも西浜を姓となせり。此西浜村の陥
没は寛正頃の地震なりと伝ふ」なお同書第三巻(四四八
頁)には寛正四(一四六三)年の地震となしており、以
上の論拠を口碑にありと記している。
また「大字祗園も地震の為に中古、今日の処に移りたり、
其の産土神の祗園社は今の鎮座地より四町の西、小字天
王屋敷と称する処にあり(中略)其の北を宮北と言ひ、
西を宮西と言ひ宮西の西南を古屋と言ふ。其れより三町
西の湖中に井戸形の現存するもの多し、是れ前記の西浜
村の湖中に陥没せし所なりと言ふ」とある。
三、「坂田郡志」第三巻(四四九頁)には「古へ筑摩の西
北に当り、尚江と称する大村ありしが中古大地震の時、
其の地陥没して湖中に沈めりと伝へ、風浪なき日、湖底
を瞰視すれば井戸の遺阯等を見る事を得べしといへり」
とあり(中略)
磯崎文五郎氏によれば、朝妻と筑摩の間の湖辺に「直江
(尚江か)千軒」が在存し、その水没は、山内一豊の幼
女(興称君)が圧死した地震、天正十三(一五八五)年
十一月二十九日夜の地震によると伝えられている。ま
た、氏により現在の汀線近くの水中に井戸跡の存在が確
認されている。
(注、信憑性に欠けるが追加掲載する)
出典 新収日本地震史料 第1巻
ページ 175
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
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版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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