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項目 内容
ID J0502416
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1586/01/18
和暦 天正十三年十一月二十九日
綱文 天正十三年十一月二十九日(一五八六・一・一八)〔畿内・東海・東山・北陸の諸道諸国〕⇒津浪も襲来・翌年十二月まで余震続く。
書名 〔混見摘写十三〕
本文
[未校訂]一 越中木船の城ハ石動より一里往還より東の方也、天正
の頃城主石黒左近秀吉公ニ属すといへとも返逆の聞ある
により、京都江被召江州長浜の駅にて郎等廿四人自害し
て滅亡に及ふ催(程)ニ一子死を遁レて金沢ニ来り、湯原と姓
を改む、其後佐々平左衛門居城後前田右近秀継四万石を
領シ在城然るに城の麓に今五社村(木舟村の誤り)と云所ニ木船明神の社
あり、右近秀継飼犬と木船の神躰をつなき合水中ニ入レて
戯れて曰、神奇特あらハ水中ゟあかるへし、犬神に勝ハ死
を遁るへしと云処、犬ハ遊(浮)きあかり神の尊像ハ水中に沈
む、其夜天正十三年十一月廿九日大地震山岳を崩し地裂
テ木船の城を大地にふり込、城主右近将監殿御父子(夫婦の誤り)等一
時に卒去号永徳寺殿ト今石動に寺有城跡一町計、高く田畑の中ニ残れり
其廻りの田むかしの城(堀)跡也とて今ニ深し、元来木船の城
地沢にてあはら地なりし故とそ木船村より三町計南の方
也、御子息前田又次郎利秀と号し今石動の城主、文禄元年
朝鮮の役進発ありしか半途ニ而煩出、帰城あって卒去の
よし、秀継の卒去は神木をきられし故其とかめと云伝ふ
出典 新収日本地震史料 第1巻
ページ 155
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
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版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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