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項目 内容
ID J0502068
西暦(綱文)
(ユリウス暦)
1498/09/11
西暦(綱文)
(先発グレゴリオ暦)
1498/09/20
和暦 明応七年八月二十五日
綱文 明応七年八月二十五日(一四九八・九・二〇)〔伊勢・紀伊・諸国〕遠江・三河・駿河・甲斐・相模・伊豆・京都・奈良・会津⇒十一月二十九日
書名 〔新町育ちの思い出〕▽
本文
[未校訂]今の馬込川は天竜川の本流になっていたので大天竜池田寄
りの流れを小天竜と称していた。だから南北朝期迄では河
口にある、白羽港は遠州灘での良港であった。延元三年九
月十一日、宗良親王が暴風にあわれて同港に上陸なされた
史実からも大天竜であった事が立証されよう。
 浜名湖が今切れという異変で海に通ずるようになったの
は室町末期、明応七年から永正五年にかけての数度の大地
震があったからだ。この地震で北部天竜河沿いの山岳地帯
には大小無数の山崩れがあった。その為に小天竜が大天竜
に昇格、大天竜が小天竜に転落するというような大地変が
起った。現在の馬込川の上流一帯は東の天王田面をはじめ
とする良田可能の沃土が突如として出現した。後年、浜松
宿が発展したのは此の方面の裕富な人士に負ふところが多
いのはその遠因がここにあるのだと言っても過言ではな
い。桑田変じて海となる言葉があるが河川変じて良田とな
るとでもいっておこう。
出典 新収日本地震史料 第1巻
ページ 115
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
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版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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