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項目 内容
ID J0502055
西暦(綱文)
(ユリウス暦)
1498/09/11
西暦(綱文)
(先発グレゴリオ暦)
1498/09/20
和暦 明応七年八月二十五日
綱文 明応七年八月二十五日(一四九八・九・二〇)〔伊勢・紀伊・諸国〕遠江・三河・駿河・甲斐・相模・伊豆・京都・奈良・会津⇒十一月二十九日
書名 〔明応七年 宝永四年 嘉永七年 地震資料〕
本文
[未校訂](日海記)清水市村松海長寺蔵
解説
(海長寺九世日海上人の日記で、五世の日満の代の応永三
十年(一四二三)のころより日海上人入山後のことおよび
永正十年(一五一三)上人が隠居したことまで書いてあ
る。明応大地震に関することのほか、今川氏親が三保見物
のため宿泊したことや連歌師宗長と日海上人との連歌のこ
となど書かれており、昭和三十八年市指定文化財となった
郷土史料である。)
資料
八月二十五日の辰刻(午前八時頃)に大地震が起った。希
代不思議なことであり、前代未聞のことである。非常な大
浪がまた襲って来た。海辺の堂舎・仏閣・人宅・草木・牛
馬・六畜などことごとく水没し死ぬ。この時に小川(焼津
市)の海長寺末寺の御堂や坊などはことごとく大浪に取ら
れて、ただの河原のようになってしまった。そして日園上
人と上人と同宿していた僧はすべて浪に没してしまった。
必ず大浪は大地震の時にあるものである。この地震の時に
海長寺の諸堂・大坊・寺中がことごとく破損したのである。
出典 新収日本地震史料 第1巻
ページ 110
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
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版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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