[未校訂](日海記)清水市村松海長寺蔵
解説
(海長寺九世日海上人の日記で、五世の日満の代の応永三
十年(一四二三)のころより日海上人入山後のことおよび
永正十年(一五一三)上人が隠居したことまで書いてあ
る。明応大地震に関することのほか、今川氏親が三保見物
のため宿泊したことや連歌師宗長と日海上人との連歌のこ
となど書かれており、昭和三十八年市指定文化財となった
郷土史料である。)
資料
八月二十五日の辰刻(午前八時頃)に大地震が起った。希
代不思議なことであり、前代未聞のことである。非常な大
浪がまた襲って来た。海辺の堂舎・仏閣・人宅・草木・牛
馬・六畜などことごとく水没し死ぬ。この時に小川(焼津
市)の海長寺末寺の御堂や坊などはことごとく大浪に取ら
れて、ただの河原のようになってしまった。そして日園上
人と上人と同宿していた僧はすべて浪に没してしまった。
必ず大浪は大地震の時にあるものである。この地震の時に
海長寺の諸堂・大坊・寺中がことごとく破損したのである。