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項目 内容
ID J0500016
西暦(綱文)
(ユリウス暦)
0678/99/99
西暦(綱文)
(先発グレゴリオ暦)
0678/99/99
和暦 天武天皇六年十二月
綱文 天武天皇六年十二月(六七八)〔筑紫〕
書名 〔豊後国風土記新考〕
本文
[未校訂]〔在郡南〕[五馬|イツマ]山(在郡南)昔者此山有土蜘蛛名曰五馬媛。因曰
[五馬|イツマ]山。[飛鳥浄御原|アスカノキヨミハラ]宮御宇天皇御世戊寅年大有地震山崗
裂崩、此山一峡崩落、温〔慍湯〕之泉処処〔々〕而出。湯気熾熱炊飯早熟。
但一処之湯其穴似井臼口径〔口径〕注丈余無知浅深〔深浅〕。水色如紺。
常不流。聞人之声驚慍騰埿一丈余許。今謂[慍湯|イカリユ]是也
新考靫編郷の内なり。箋釈に
後世五馬荘アリ。二十四村ヲ管ス。其聚落(○中心部
落)ヲ五馬市ト曰フ。官道アリテ南肥ノ小国ニ達セリ
といひ国志に
五馬山 五馬荘ノ五馬市村ニ在リ。数山連接シ形皆臥馬
ノ如シ。故ニ名ヅク
といへり。但本書には土蜘蛛の女酋の名を山名の[原|モト]とせり
○飛鳥浄御原宮御宇天皇は天武天皇の御事なり。戊寅は其
六年なり(日本紀は壬申より数へたれば戊寅を天皇の七年
とせり)○大有地震云々は天武天皇紀七年に
冬十月筑紫国大地震之。地裂広二丈長三千余丈。百姓舎
屋毎村多仆壊
とあり。(中略)○今の五馬村の北に中川村ありて玖珠川
に跨れるが其北岸なる大字湯山に[天箇瀬|アマガセ]温泉あり。又南岸
なる大字桜竹にも温泉あり。但本書のイカリ湯は今のいづ
れにか知るべからず。否温泉にも興亡あれば上古の温泉は
必しも残るべからず亀山随筆に「天ケ瀬の慍湯」といへる
は妄なり(中略)○常不流といへる、所謂間歇泉なり。常を
従来ツネニとよみたれど宜しくツネハとよむべし。常ニハ
の意なり。騰埿は箋釈本に騰沸とあり。一本に騰泥土とあ
るはわろし。慍湯は久老の如くイカリユとよむべし。(中略)
○今も五馬市に五馬媛を祭れる社あり又其隣村塚田(○今
の五馬村大字塚田)に塚田媛を祭れる社ありて其祭日にい
と淫なる事行はれし山管内志に引ける亀山随筆と彼亀山鈔
とに見えたり(亀山鈔の記事は版本には削れり)(後略)
(注、〔〕は「風土記」日本古典文学大系S46・4・10 岩波書店による)
出典 新収日本地震史料 第1巻
ページ 2
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
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版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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