[未校訂]駒が嶽といへるは、一名内浦が嶽、又の名は茅部山などゝ呼
び、内浦のうちかげ「カヤベナイ」といへる場所に於て、有
名の靈山也、明和二酉年に炎上せるよし。古老の傳説にして
今年迄燒出たる事なし。然るに安政三丙辰年八月廿六日曉、
いずく共なく震動する事夥し。鹿部本別龜とまり邊、或はと
めの溫泉に浴せる者共、何れも箱館大地震ならんなどゝ餘所
事の樣に思ひ居たりしに、晝九ツ時ころ駒嶽の方に當雷鳴の
如く大なる響あり。忽ち黑烟をふき出し鹿部ホンベツ邊居小
屋の屋根へ燒石飛來り、硫黃の火降り觸るゝ所へ燃付たる
故、防がんとすれば吹ちらす燒石に頭を打れ手足を損じ、防
べき手便もなく逃出けるに、猛火降り來り大石を吹出し、所
々へ散亂し其上風烈しくうづまきいづる黑烟を吹懸け闇夜の
如く眼暗み寸圖も行事能はず。家に居れば火炎吹込戸外へ出
れば頭の上へ大石當り氣絶せるもの多く、幼兒を脊負父母を
いたわり逃迷ふ。いづくも同じ事なれば肩脊へ火燃付くゝり
上ケたる裳へ燒込難義いふ計なし。よりて人々樽を冠り或は
盥を笠にし、筑摩の祭にあらね共鍋をかぶり釜を戴き、心々
種々さま〴〵に工夫して逃去りけり。一同つかれ果ポンベツ
橋下に暫く凌ぎ居たり。幸なるかな、川水一滴も流れず是不
審也。乍去橋下に彳む事を得たり。此事は留湯の條に委し、
かくて此所に集れるもの共評議して、此體にてはなか〳〵佐
原の方へ行がたし、臼尻川波の方へ行べしとて立出るに、頭
の上へ硫黃の火降かゝり衣服へ流れながら燃る故防ぐ事能は
ず。多くは着類を打捨裸體になり灼傷し大石に手足を損じ步
行捗取らず、又鳴動して燒拔打節西南の風烈敷、鹿部の方へ
進む事能はず。別て此所は風下故烟りはさら也。亦本別のか
たを見れば、燒石砂に火交り散亂し家々へ火移り暫時に不殘
燒失す。其後聞けば無難の家二軒あり。此柾屋に入りて多人
數凌ぎたりとぞ。鹿部の方も所々へ火燃付二軒燒失、其餘は
幸にして消留たり。
一、野飼馬數頭、荷物運送の牛馬、數知れず斃る。
一、鹿部ポンベツ兩所にて家數三十五軒、人別百八十三人
燒失家十七軒内十五軒、本別分明小屋物置、納屋板藏都合
十二ケ所、船小屋七ケ所、磯船持府船都合十二艘、燒死二
人、一人は八十四、一人は七十三、何れも隠居同樣子供存
命せり。追々臼尻川汲の方へ逃去り、少々づゝ痹受ざる者
なし。乍去一同恙なし。川汲へ詰合たる官吏臼尻へ出張し
て怪我人をいたはり、村廩を開ひて窮民の夫食となさし
む。依之一同安堵し、官の御仁惠を歡びける。
一、とめの湯泉に湯治せる者凡二十二人、前條の如く火の付
たる石礫土砂疾風に急雨雹霰を送るが如く飛來り、暫時の
間に堆き事三丈餘に至り、その上崖萠れ沸騰せり。湧口二
三ケ所出來せり。如斯燒石土砂にて山も野も河も平一面の
崔嵬と變じ、大沼より流れ來る泉脈を堰留しばらく水も流
れず、こゝに於て前條橋下にて凌げるもの共幸を得たり。
追々水衝湛へ近邊に又沼を生ず。其際埋たる燒石土砂の上
を越して流るゝ故熱湯川をなす事なればうなぎ雜魚の類皆
死して流れたりとぞ。
一二夜と經ぬれば彼橋下など中央は熱湯汀の方は程よき加
減にて入湯自由を得たりとぞ。
一、石松といふものゝ女房、眼病故相具して湯治せるに、廿
六日は朝より風もなく、日和よければ、幼兒を背負て石松
は大沼へ釣に行たりしに、九ツ時頃俄に駒ケ嶽動搖して震
動夥敷、大雷頭上に落たるが如く響渡る。黑烟吹出石を飛
し砂をふさし、暫時に黑闇と變じ逃れ出るに方角を失ひし
が、峠の方を志ざし足に任て走り行、難なく峠の下村へ着
たり。前條の如く溫泉場有燒土砂大石降埋め山崩れ、其場
に居合たる者十九人程死せる事なれば、石松は其變事を見
ながら道遠ければ妻を救ふ事能はず、幼兒を脊負て箱館に
立戾り、妻の菩提を弔ひけるとか。
○ヱドロウ島の支配人越前屋卯兵衞印八郞と云て、福有の者
成しが古疾を治せんため、女房飯焚外一人を供ふて湯治し
て居たりしが、此災難に出合、四人共其行衞を知らず定て皆
死亡せる事なるべし。同じくヱドロフ島の俊平といふ者、
此溫泉に來りて湯治しけるが、此日俄に震動雷電して、何と
なく氣分惡くなりけるゆゑ、障子を明て表を見るに、向の山
に五色の雲起り、人の形のやうなる物其邊を飛行するやう
に見えければ、大きに驚き、早々障子を〆んとするとき、
家内震搖動して戸障子忽倒けり。扨は大震なり、早く逃ば
やとて、取物も取敢ず、表へ逃いだし、道の程三四町も至
らんと思ふとき、闇夜の如くになり、其東西も辨へがたき
ほどなれば、大に狼狽、不斗空中をながめける處黑雲の中
に龍(頭カ)三つありける猿の如き者顯れ、口より火炎を吐つゝ雲
中を飛行しけるゆゑ、俊平これを見るより身の毛彌立、直
樣其處へ倒けるが、其内に少しく雲晴て明くなりければ早
○湯治場より川を隔て、山際に木を伐り居たるものあり、數
千の大雷落かゝる如き響ありし故其儘逃去けるが、方角を
取失ひ迷ふうちに忽燒砂四五寸積りたれば、其中を步行む
故、強て進みがたく、無餘儀大沼の所を行事一里許、風脇
になりたれば格別石砂飛來らず、漸々陸へ揚り峠の下村を
打過、一ノ渡村へ來り知るべの方へ立寄たれば安心せる故
か、腸腫痛一步も行事能はず、此所に止り養生して居たり
ける。以上湯治場に居合たるもの二十三人程、其内漸々二
三人生殘り餘は不殘死亡せり。
○龜田村の喜七と云もの、かや屋より買運送之爲馬六七頭に
駄し牽來りしにスクノツベを打過沼の傍を通りけるに、大
雷の如く鳴動せり。是又箱館大地震ならんと思ひつゝ馬を
進めて行程に、大なる響して山拔け黑烟り突出、大地轟き
ドン〳〵ゴト〳〵と大なる鳴音聞え、沼の中央へ燒たる大
石降來る事雨の足より甚しく、池中沸騰して蒸氣遙の空に
昇り、其形鱈の腸の如く、突兀として大山の湧出せるに似
り、桃色薄紫薄紅白淺黃など立取にひとし至て見事也。依
之川汲臼尻邊の者共、此蒸氣を見て村翁老婦は御らいこう
也とて合掌して拜しけるとぞ。追々スクノベツより、婦女
子共逃來馬に乘せて救ひ賜へと云ふ、何れも見知たる人々
故いなみもならず、荷を打捨て乘らしめ、大野迄連行しと
ぞ。
○龜どまりといへるは、鹿部の入口にして家數十軒程あり。
前は海にて、後は山、溫泉湧壺二口あり。冷熱僅に隔り、
傍に小屋有、見守其處に住す。臼尻より湯治に來り居たる
幼女、廿六日の朝米を洗ひて本ノヽマへ行たりしに、灰降
りし故其米を打捨あはたゞしく歸り來り、斯の如く定めて
駒が嶽燒出すべし、わらはゝ臼尻へ戾る也と、跣足にて逃
出だしけるゆゑ守の老父是を聞て大に驚き申けるは、去る
廿四日より今廿六日朝迄三日間駒ケ嶽折々鳴動せり、定て
燒出し可申、私儀は年老て步行捗取らず、若者共を殘し置
御世話いたさせ可申なれ共、各方にも逃賜へ、今女子のこ
とばはいかにも不審也、かゝる幼女の口上にも思はれず、
定て神ののり移りいわしめ賜ふならんと云捨て足早に駈出
ける。是を見て思ひ〳〵に逃散臼尻を志し濱傳ひに走り行
けり。
○箱館より來れる商人、宿り居たりしが、其樣子を聞て荷物
を捨置、同敷駈出たるに、火降所々へ燃付ければたまりか
ね、もちり半天の事を水に濡し頭へ引冠り走りけるに、火燃付
ける故、打消〳〵走りけるが、あわてゝ消したる事故火氣
殘り、脊中より燃出し、髮毛を悉く燒たりとぞ。如此追々
逃出しければ、防ぐものなく、遂に此溫泉場燒失せり。
○同所へ昆布稼に行たりし何某と云ふ者あり。老父母をいざ
ない妻と幼兒と一人を引具し、丸小屋を營み、稼居たりし
に、最早昆布も干乾し終り、荷送り日和を待出船せんと心
掛、けふは風もなく本のマヽなれば濱へ出で跡仕舞して居
たるに、雷鳴の如く大なる鳴音聞え、無程黑烟り卷上り燒
石土砂を吹散らす事雪霰の如し。直さま小屋へ戾り夫は着
替の入たる柳骨折を背に掛け、妻は子を抱て逃出けるに、
父母見えざれば怪んで立戾り、丸小屋を見れど居合せず、
呼立れ共其音信なし。疾く逃去賜ふならんと跡を追ふて濱
傳ひ走りければ、燒石飛來りて夫の左り手の甲へ當りくざ
とさす。角先掌へ拔出たるを振捨て、血出るをも厭はず手
拭もて包み逃來れる由。其道連になりし者の物語りにて聞
たりとぞ。
○東地登の船エリモ岬を廻り、沖懸りし、夫より段々走り來
り、南部尻矢崎を見なし、蝦夷地方を二十餘里隔りたる沖
合走りけるに、燒石數多飛來り、船の矢倉へ落たりとぞ。
遠方に飛び行しものとは聞えし。此間に村落あらば悉く燒
失すべし。
○小安村の何某と云者、熊とまりといふ所へ昆布稼に行て、
濱邊へ丸小屋掛け稼居たり。此變災に逢ふて取る物も取あ
へず、妻子を引連いだきといふ所へ逃來一宿を經て歸り見
れば、住家に一物なく、悉く盜賊に逢しとぞ。此わたり、
鹿部ポンベツの者共素より善惡邪正はある習ひなれ共、難
破船などあれば救ひはせで、却て荷物押隱し金子など分捕
するの癖ありて、小♠を好めり。去年ポンベツのもの共破
船の荷物盜取、山へ持行、柄の長き鎌を以て切とき箱に餘
る金銀奪ひ取多くの人に難儀をかけ剩さへ其所業を異見せ
し善人をうとみ、村所を追拂ひなどせる報ひにや、こたび
かゝる變災に出會、家藏、雜具、船、飼馬迄も悉く失ひ、
殆ど生活の道果ぬるは何さま故よしもありぬべし。こは巷
談説取にたらずといへども、淵源なきにあらず、天に口な
くしていはしむる諺、周易に曰、積善の家には餘慶あり、
積不善の家には餘殃ありと。實に懼るべき事共なり。
○佐原掛り洞尾白内もとの四ケ場所は、皆駒が嶽の山趾なれ
ばこの變災を聞くや否、悉く鷲木へ逃參、南部家勤番人數
も佐原に詰合たれば、是も同じく鷲木へつぼみけるが、何
迄も無別條、風のまに〳〵灰降たるのみ也。九月朔日には
風もなく穩なりしが、夕景北風少々吹出し灰を飛し、上湯川
龜屋へも灰降、木葉白くなり、草苅などは草鞋かけ眞白く
なり、コソ〳〵と剛張りたり。追日火勢穩になりたれ共、
往昔の如く火炎山となりたりける。依之追々硫黃を産すべ
し。火藥の内硝石は天造と人の工と二種あり。灰同斷。木
は天造にして、灰となすは人工也。硫黃に至ては天造のみ
にして、出産劣る時あり。殆ど差支る事有べし。蝦夷洲に
火炎山所々にありて盡る期なしといへども、此度又一つの
火炎山を增し、武備第一の品を得賜へり。天幸と云べし。
目出度かりける事共也。
安政三辰十一月 澁川藏書
文鳳堂曰、安政四丁已正月十八日、先年向山源太夫樣同道に
て彼地へ下りし加藤正二郞と云人、昨年十二月中歸り、今日
我家へ來り咄しの内に、駒ケ岳燃出しける始異船渡來石火矢
にても放しけるやと、市人さはがしかりしに、アメリカ人渡
來致し居しが、西人申けるは此音は山燒出しける音也、我國
はおり〳〵有と申ける。是にて市中靜まりけるとなり。十月
十一日出、佐渡奉行内藤家藩和田氏より來狀寫。
一翰呈上仕候。先以寒冷に趣候へ共、御揃珍重御事奉存候。
其後久々打絶御物遠打過段御免可被下候。小子無異罷在
候。
一、發足の節兼て御約束申置候。當地珍事と申上度候得共、
差てめづらしき事も無之。下略
一、御地先達ては大風出水のよし委細承知仕候。貴家など
はいかゞにや。此地などは當事暑氣甚敷近年稀なる大暑之
よし。此地の老人共咄申聞候。離島之事故、例雨天勝に候
處、當年は雨も少く今日迄も凌能時合に御座候。九月十五日
當地相川表惣鎭守善知鳥大明神之祭禮に御座候て住吉大明神を
祭ると云誠之快晴珍敷と申事に御座候。三十六年目にて箇樣の
快晴と申事之由。
一、七月廿三日より八月三日迄、箱館表晝夜大地震之處、七
月廿六日は津波之よし。併怪我人等は無之由。八月廿六日
同所佐原村山燃出、四ケ村程之内助命之者四五人も有之、
夥敷怪我人死亡之もの有之。燃出し候始は其音大筒の如く
にて、異船渡來何事か出來候哉と人々狂惑いたし候位に候
よし。是は箱館より十三里有之場所之よし。九月六日同所
出立當地之もの罷歸り咄申聞候。下略
十月十一日認 和田此右衞門 花押
山城忠兵衞樣
〔武者註〕右ハ畑銀鷄「時雨廼袖」ニ收メラレタル「駒が嶽
炎上記事」ト加藤(武夫)理學士「北海道駒ケ岳火山地質調査
報文」ニ收メラレタル「駒ケ岳炎上ノ事」トヲ比較對照シ校
合シタルモノナレドモ、誤寫或ハ誤植ト思ハルヽモノ少ナカ
ラズ。他日善本ヲ得バ訂正スベシ。