[未校訂]〇六國地震
一、攝津大坂川口一ツ橋藏やしき詰松田大八郞文通中、○上略
六月十四日夜八ツ時ごろより大地震にて、翌十五日何度と
もなく相震、其内兩度ほどは家居もつぶれ可申ほどにて、
壁は震破れも所々御座候。右に付家内子供等は、廣場に疊
敷て差出置候處、追々鎭まり候に付、漸々安心仕候。乍併
格別なる損所怪我等も無御座候間、御平慮可被下候。大坂
市中の風説、追々承り及候處、何れも格別の儀も無御座候
由。近年まれなる大震、私など尤も始めて出會、扨々心持
あしきことに相おぼえ申候。近國の處承り候處、和州古市
南都は過半くづれ家に相成、死人多き由。伊賀の上野は城
も町家ものこらず震潰して、其上出火幷出水にて、死亡お
びたゞしく候由。先日同所を通行いたし、歸坂仕候ものゝ
咄には、道筋こと〴〵く破れ、其上沼田の如く相成、水は
泥水にて呑がたく、右出水出火にて食物等も無之、たまた
ま生きのこり候ものも、右の氣打にて病人のみゆゑ、勢州
より人足數多呼寄、道普請いたし居候由。誠に目も當られ
ぬ次第の趣に承申候。其外越前福井、勢州四日市宿、江州
信樂も大損の由に御座候。當月初旬までは折々相震候へど
も只今にては全く相しづまり漸々安心仕候。○下略
七月廿七日至急文通
右同人より贈り越したる、大坂市中辻賣の板行ものゝ略寫。
一、南都。
寅六月十四日夜八ツ時ごろよりゆり始め度々、十五日朝よ
り大地震になり、町家無事なるはなく、皆々野宿或は明き
地抔にて夜を明し、往來の人一人もなし、崩れ家多く、廿
三日までに八十五度あり。廿一日夜五ツ時ごろ、田利佃坂
町西方寺本堂震崩し、高畑神主高塀のこらず、其外崩れ家
數知れず。死人三百五十餘人、怪我人數しれず。
一、伊賀上野。
同十四日夜七ツ時半頃震はじめ、御城大手御門大損じ、町
々在々潰れ家多く、其上出火にて燒失、島が原と申所五十
町四方、螺荒にて泥海と相成、又崩損の人家數知れず。
一、江州石部。
同夜同刻震出し、所々人家損じたれども、格別ならず。
一、江州信樂。
同十三日大雨大雷、翌十四日大地震にて在町くづれ家凡百
三十軒程、土藏二十戸前、死人怪我人數しれず。
一、同瀨々御城下幷石場。
同十四日同刻震出し、大地震にて御城北の大手出火にて、
御菩提所燒失、其外御構へ高塀湖水へ落込、まことに大へ
ん。又石場船乘場大石燈籠も湖水へおち込み、すべて即死
怪我人多く、類燒・震崩し家數しれず。
一、水口土山庄の藥師。
同日同刻震出し、大地震にはあらねども、宿々損じ多きゆ
ゑにしるす。龜山も是に同じ。
一、三河岡崎。
同日同刻ゆり始め、東邊にては崩れ家もあれども、さした
る事なし。
一、勢州四日市。
同日同夜四ツ時頃震はじめ、朝六ツ時頃より大震になり、
家數五百軒餘震くづし、五ツ時ごろ出火あり、四百軒餘燒
死亡凡二百四十五人、怪我人不知者五百五六十人とぞ。
一、和州古市。
同日同刻大地震にて、地われ人家多分震崩し、死人六十七
人、怪我人數しれず。殘り家漸く三四軒ばかり。
一、同郡山。
同日夜九ツ時ごろ震はじめ、八ツ時頃より大地震になりて
柳町一丁目より同四丁目まで、家數凡三十八軒くづれ、同
十八日廿一日六ツごろ震返し、都て八十五度の震にて、市
中崩れ家多く、死人凡百二三十人、其外奈良同樣なり。
一、越前福井。
同月十三日朝五ツ時頃、城下出火にて無殘燒失、其朝大風
にて九十九橋と一百町、兩本願寺幷寺院百ケ所計燒失、近
在凡十ケ所燒亡、夜四ツ時頃鎭火、十四日夜八ツ時頃より
大地震にて、田地なども泥海の如くなり、所々の家震崩し
死人凡四五十人、怪我人其數を知らず。十六日暮方までに
大小六十七八度、其混亂筆にも盡し難し。
一、南山城木津。
同十四日夜九ツ半頃、東西南北わかちなく、黑雲おゝひ重
ね雨ふり、笠置山より大岩吹出し、近邊大水となり、家十
軒計崩れながらに流れ、人々命おしくも逃行べき道なけれ
ば是非なく夜中のことなれば、殊更手段なく、死亡其數い
まだ知れず。十五日九ツ時頃に至り、水はさつぱりと落ち
たりと。
右は慥ならざる街の風説といへども、記して後年の栞とす。
猶本説を聞ば、記しつぎて殘さんのみ。