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項目 |
内容 |
ID |
J0400112 |
西暦(綱文) (グレゴリオ暦) |
1853/03/11
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和暦 |
嘉永六年二月二日 |
綱文 |
嘉永六年二月二日(西曆一八五三、三、一一、)十時頃、相模小田原大地震。城ノ天守の瓦壁落チ、大砲臺三ケ所破損、市内ノ竹之花町・須藤町・大工町等ノ町家ハ殆ド全潰ス。震災地ヲ通ジテ潰家ノ數三千三百、死者マタ少ナカラズ。遠江・三河・信濃等ニテ有感。 |
書名 |
☆〔きゝのまに〳〵〕○喜多村筠庭著
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本文 |
[未校訂]〇二月二日已下刻地震。相州小田原大地震、晝四時より夜九 時迄、大久保殿城中角屋倉大損、城下町々領分處々、酒勾川 筋飯ずみ十文字十日市場子安大山邊最乘寺山道、東海道筋者 小田原續羽田山中、大久保長門守殿領分村々多損ず。箱根湯 本七ケ所二子山、同所權現社者無難なれ共湖水溢れて河原ハ 大に損ず。夫より豆州海邊山山眞鶴納代伊奈、西は修善寺三 島所々其外損所多し。加賀守殿ハ早速御暇玉ハりて江戸より 發駕有。箱根山往來二日留る。其後も一人立通路にて馬ハ通 ひなし。地震は日々少震、暫く日數を經て、此地常にも他所 より震強き所、此度ハ殊に甚と云。
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出典 |
日本地震史料 |
ページ |
20 |
備考 |
本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
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版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)
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