[未校訂]大館の人、春の頃札所にまうてゝ、京へのぼり
たるが、此ほどかへりきていふやふ、さきの月の大
日、あふみの竹生島にやどりたる夜、島山ゆくりな
くどよみ出たれば、いかにと皆あやしみいふに、宿
のあるじ、此鳥は霊地にて金輪より生いてたれば、
むかしより今にいたるまであへてくづるゝ事なし、
さのみなにかをそれ玉はんとて、さりげなくてある
に、やう/\うできたちてひし/\とはためくひゞ
きにあはせて、山のいたゞきより大きなる石の家の
さ〓にもてへたるが、みつまでまうびおちつゝ、そ
の跡より水のわきて流るゝ事、瀧波のごとく、此お
ちたる石におされて、やとりたる家あやまたず打つ
ぶされ、川はしのかたにやどりたる人は、磯ぎはに
にげ出たれど、おくにいたるものはうたれしゝたる
ものかずしれず、すべて四十人あまりやどりたるが、
手あしうちおられ、きずをはぬものなし、事なくて
のがれたるはいとまれなりとぞ、此大館のもの十四
人なりしも、一人あへなくうたれ〓ゝて、十三人に
てかへりつと涙おとして、あるやうかたりつるといひ
し、またあやしうめづらかなる事どもになん。
(武者註)著者津村正恭は秋田侯の御用達ニシテ天明八年西暦一七八八年秋田ニ赴
キ寛政二年(西暦一七九〇年)江戸ニカヘルマデノ見聞ヲ誌シタルモノナレバ、竹生島ノ鳴動崩
〓ハ大体ソノ頃ノ事ナルベシ、