[未校訂]天明三卯年凶作の前年寅の冬より氣候いつもと大きにたがひ、十二月甚暖にて菜種の花なと咲きそろひ又は笋を生し、陽氣春に以て三月比の如し、且時ならざる雷度々あり、極月にかくあることは前代未聞の天災たりとて人々おそれけり、さて明れば卯の年となりぬ、此春は猶更暖ならんとおもひしに冬とは引かはりて寒氣甚しく、其上雨のふる日多くして晴天は稀なり、されとも夏に及びしに麥作はいつもとさまでの違ひもなくとりけり、かくて五月になりぬれば暑氣の節たれともさはなくて田植の時にいたれども餘寒去らす人皆綿入を着て火にあたるほどなれば、此寒さにては作物不熟ならんと察せられしかば穀物の百段諸國一同大きにあがれり、○中略
かくて七月になりしかば雨にまじりて砂をふらし或は風につれて白き毛の如きもの此あたりまで飛び來れり、又大地のふるふ音して夜も晝も聞へけり、これはいかなる事やらん不思議なりとて人々打ちよりいひあへり、是信濃國淺間山の燒け出しにて其火勢のとゞろく音遠くも響きわたりて聞へしにそありける、かくて山の上の煙は空をおほひ電光おびたゝしく鳴りはためき其あたり二三里がほどは闇となりて晝夜をわかたずありしかば、灯火を用ひつゝけて常にあかしを消すことあたはず、それよりして泥土をふらし或は火の石を飛しつゝ其震動雷電次第/\にいやまさりしかば、皆人肝を消し魂飛ひて夢の如し、されども爲方なくて日を送りしこと七日七夜に及びつひには淺間の高山裂け崩れて大水出しかば、火の石泥土を流しゝこと夥し、其勢のおそろしさたとへていはん様もなく言語にたへし事ともなり、其水すぢの村々里々其数すへて五十三ケ村一時がほどに押流せり、其家數八千七百八十三軒人は三千七十八人を溺らし殺せり、其外牛馬の類は數をしらずとなり、抑此出水の色は赤きこと血の如く且其泥水たる水とはいへ共大熱湯故それに觸れし者は忽に煮燒されて悉く亡ひうせり、されば死を免かるべきやうとては絶てなかりし事なり、