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項目 内容
ID J0202119
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1782/08/22
和暦 天明二年七月十四日
綱文 天明二年七月十四日(西暦一七八二、八、二二、)是夜、江戸地強ク震ヒ、明朝又數、震フ、是時、相模國最モ烈震ヲ感ジ、小田原城市破壊シ、箱根山所々崩レタリ、房州ニハ津浪襲來シ、陸中モ津浪ノタメ被害アリ、三河・越中・飛彈ノ諸國マタ震フ、
書名 〔浚明院實紀〕 日記 年表 日記 年表
本文
[未校訂]○十四日、丑刻府内地震すること甚し、(日記、年表)○十五日、けふ酉刻また地震す、相模國小田原雨降山のあたりはわけて甚しく、大久保加賀守忠顯が、小田原城は櫓三所までやぶれ、士族の家破壊せしは千軒に及ぶ、八十年來の地震といへり(日記、年表)
出典 増訂大日本地震史料 第2巻
ページ 557
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
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版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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