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項目 内容
ID J0202113
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1782/08/22
和暦 天明二年七月十四日
綱文 天明二年七月十四日(西暦一七八二、八、二二、)是夜、江戸地強ク震ヒ、明朝又數、震フ、是時、相模國最モ烈震ヲ感ジ、小田原城市破壊シ、箱根山所々崩レタリ、房州ニハ津浪襲來シ、陸中モ津浪ノタメ被害アリ、三河・越中・飛彈ノ諸國マタ震フ、
書名 〔北窓雜話〕
本文
[未校訂]天明二年壬寅七月十四日の夜丑刻俄に東都大に地震し、屋瓦を落した民家を倒すこと甚多し、然れども忍に止て諸人と安堵の思をなしける処に、同十五日夜戌刻に湊で又大に地震と、民家を破倒し壓れ死する者甚多し、其夜より翌朝に至て大地十五六度も震動せり、仍て諸人と恐れて終夜寢ること能はず、予十五歳の時にて先考及鍼醫原桃源なる者と庭上に雨戸を置き疊を敷て通夜せり、秋夜快晴にして月光朗に、白露玉を歎けり、始め戌刻の大地震に庭前にありて箱泉水搖動して、水庭上に漲り溢れたるに、桃源嶽狽してすべり倒れて、天窓を大地にしたゝか打付けたり、先考も予も掌を拍て大笑せり、今これを思へば電光石火の影の中先考も没し、桃源も死して跡形もなく、四十五年の古の夢とぞ成にける、此時の地震江戸よりも相州小田原殊に甚しく、城中石垣崩れ、塀、櫓・侍屋敷・民家多破倒す、又箱根山所々巖石拔落て往来塞り、海辺は津浪起て、人家を漂流すとなん、
出典 増訂大日本地震史料 第2巻
ページ 556
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
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版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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