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項目 内容
ID J0201721
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1761/08/03
和暦 宝暦十一年七月三日
綱文 寳暦十一年七月三日(西暦一七六一、八、三、)加賀金澤卯辰山崩壞シテ人ヲ害フ、
書名 〔泰雲公御年譜〕
本文
[未校訂]一七月三日八半時、淺野川浄明寺之向山崩、組外三百石辰巳八佐衞門次男鐡次郎、今年七歳、八左衞門宅向之興力荒井瀬左衛門忰兩人、兄十一歳弟七歳、鐵次郎右兄弟之子供与蓮立、鶉籠之敷砂取に罷越候頼左衛門方より小者一人差添、右山之下へ罷越遊び居申内、上より山五六尺欠落、四人共土に被圧候を見付候者、家々之致案内候に付、驚人々家來指遺掘出し候、瀬佐衞門せがれ、兄は腰より下迄土に埋れ、上は顕有之に付、早速掘出し申に付、痛不申、弟も兄与一所に居申故、當座は正氣無之候得共、是も早く掘出、追付正氣付候小者無別條、八左衞門忰は土に被埋、掘出し方隙取候故にや一向正氣付不申相果候由、誠に不慮之事に候、
出典 増訂大日本地震史料 第2巻
ページ 407
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
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版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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