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項目 内容
ID J0200514
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1707/12/16
和暦 宝永四年十一月二十三日
綱文 宝永四年十一月二十三日(西暦一七〇七、一二、一六、)富士山爆発ス二十二日ヨリ地震ヲ頻発シタルガ、二十三日ニ至リ、東南山腹ヨリ大爆発ヲナシ、夥シキ灰砂ヲ噴出シ、相模、武藏等ハ降灰ノ害ヲ蒙ルコト甚シ、爾後時々地震及ビ降灰砂アリ、噴出ノ全ク止ミタルハ十二月八日ナリ、
書名 〔大川文作所藏記録〕
本文
[未校訂]宝永四丁亥年霜月に至、少々宛之地震毎日之事にて、さのみ驚事にも有らず、常之事に存候処、同月廿三日の朝六ツ時分より、時の間も無く地震以外四、五ツ半時迄三四度に及候処、天〓何国共無く神鳴の如に不断ひゞき鳴音家々ゆすり、戸障子の鳴音夥敷、並居る者の物云事も不聞之程にて、天もくつるヽ如に相成、何様かようなる響にて地震ゆり候ば、なか/\生を得る者壱人も有之間敷と、国々にて人皆驚、先高き寺院方え諸道具運び、男女老若夫々右寺院方の大庭又は野、畑林え戸板を敷、往生を待のみと念佛大もくの念誦、是は/\こ斗たちまち滅すことやと覚えける、時刻移れ共止時無く曇り渡り、何国の方と云事も無くひた鳴時、同日晝迫八ツ半時分より少々雲はれ候処、何共不知富士山より五色の雲東の方へと渡る、いかさま不思議と評判取々の処、沼津町〓申來るは、石御山〓御神火もえ出で候と触廻り候故、昔より云傳て御神火と云事有たると先家々え帰り候、扨夫〓も日数無止時、十二月七日迄都合十五日之間は夜晝の無〓刻〓〓燒〓し由、依之石砂燒出し候より、東の方野も山も一統に平に成、在所不〓禿申候場所数々有之、砂降候村々より不残江戸又は在々え男女老若奉公に出、年つもり連々と開発之村々は立帰りし者も有之、扨右ひゞき三四十里四方の間は直に家々の下〓くゆりつくるゝ程に鳴渡り申候、富士近在は砂のつもり三丈五丈程つもり、末程かろく、江戸町迄降申候、是翌年田畑開発のためとて砂除け金として日本国え高百石に金子貮兩宛御取立仰付られ、百姓口口にて出し申候、勿論砂ものけさせ候へ共、かきりし無き砂ゆえ末た開発無之処も有之如に覚え申候、右燒出し之穴之廻り壱里余有之、そのそばへ燒出のたまり山に成、今宝永山と云何様前代未聞の事にや、此時正徳と年号換り申候、
出典 増訂大日本地震史料 第2巻
ページ 244
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
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版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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