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項目 内容
ID J0200512
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1707/12/16
和暦 宝永四年十一月二十三日
綱文 宝永四年十一月二十三日(西暦一七〇七、一二、一六、)富士山爆発ス二十二日ヨリ地震ヲ頻発シタルガ、二十三日ニ至リ、東南山腹ヨリ大爆発ヲナシ、夥シキ灰砂ヲ噴出シ、相模、武藏等ハ降灰ノ害ヲ蒙ルコト甚シ、爾後時々地震及ビ降灰砂アリ、噴出ノ全ク止ミタルハ十二月八日ナリ、
書名 〔伊勢町元享間記〕
本文
[未校訂]一、同月○宝永四年十一月廿三日、富士の木立よりゆり上げ、御當地方計り砂大分ふり候故、人々驚き申候、其内相州は大分にて、所々より五尺六尺又は八尺三尺、此地は一尺五寸三寸ふり申候、去寄翌年大名衆中へ相州の砂のけ御手傳当り申候、然に付国々大名小名、御知行高合百石に付金子二兩づゝ御公儀様へ御取上被遊候
出典 増訂大日本地震史料 第2巻
ページ 242
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
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版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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