西暦、綱文、書名から同じものの一覧にリンクします。
項目 | 内容 |
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ID | J0200431 |
西暦(綱文) (グレゴリオ暦) |
1707/10/28 |
和暦 | 宝永四年十月四日 |
綱文 | 宝永四年十月四日(西暦一七〇七、一〇、二八、)五畿七道ニ亘リ地大ニ震ヒ、続イテ九州ノ南東部ヨリ伊豆ニ至ルマデノ沿海ノ地ハ悉ク津浪ノ襲フ所トナリ、其ノ餘勢大阪湾、播磨、長門、周防ニ達シ、大阪ニ非常ナル災害ヲ生ジタリ、震災地全部ヲ通ジ潰家二万九千戸、死者四千九百人ニ及ベリ、マタ土佐ニテハ地形変動ヲ生ジタル處アリ、 |
書名 | 〔大地震富士山燒出之事〕 |
本文 |
[未校訂]□□□丁亥年十月四日晝七ツ上刻地震動あり、衆人も斯ル□□を不覚、昔より地震の節は、竹林に居る時は、大地割□□□はなど、とり/\の評議珍敷事に覚申、居家等□□破損夥し、此五六年以前小田原地震之節は、當国□□事なり、是は夜半の震なり、扨今日の大地震必ず□□返しあること、昔より言傳る故、在々所や迄急に□□屋をかまへ、人々不寢、彼小屋に夜を明し、今や/\と□□返しを侍居所に夜も曙がたになり、別事も有間敷かと□□□に入、茶坏煎じ、又用心致す者は小屋に居伺ふ□□□□□□分に夥敷大地震、昨夜之三双倍、内より□□□□に大人小人、我拾六歳之時也、立て歩む事□□す、這々ところび匐ひするに、轉々し出る事も□なひ事も□なし難し、其内に家は傾き、軒庇のやね石は落かゝり、□□計の思ひなり、神社佛閣震ひ預け、村家の居屋□れ潰る事数多也、前代未聞の事に申あへり、□□地割穴あき水出、東海道中又は在々の道場□れ、通路を失ひ、家倒れ人馬死亡多し、内房村□□志らとり崩れ落、富士川より東の村を埋、村中□男女不残死亡す、其山之土石にて富士川ヲ堰止メ、三日□□川之流れ一水も流ず、道中船場渡し河原陸(マヽ)也人々□□如何に案じ、三日めに崩れ流れ出ス、すさまじき□□也、其以後地震軽々候得共、晝夜五六度震動しけり、□□日諸人假小屋に住居す、
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出典 | 増訂大日本地震史料 第2巻 |
ページ | 201 |
備考 | 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。 |
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版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)
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