西暦、綱文、書名から同じものの一覧にリンクします。
項目 | 内容 |
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ID | J0101149 |
西暦(綱文) (グレゴリオ暦) |
1684/03/31 |
和暦 | 天和四年二月十六日 |
綱文 | 貞享元年二月十六日(西暦一六八四、三、三一、)伊豆大島噴火、其ノ響雷ノ如ク、熔岩流下シテ海ニ入リ新築出ト稱スル地ヲ生ジタリ、、其レヨリ元録三年ニ至ルマデ七年ニ至ルマデ噴煙止マズ、 |
書名 | 〔熱海名主代々手控〕 |
本文 |
[未校訂]天和四年○貞享元年甲子二月十四日より大嶋の絶頂より噴火致し、焼上る火の色は朱の如くにして、毎日毎夜間斷なく、晝は火見えず、暮方より見える、二月下旬の頃野火の如く、東の方焼る、此は野火にて有るべくや、三月上旬の頃は天氣あしく雨降り候故、雲覆ふて火見えず、天気あがれば亦前の如く焼上りて、其高さは遠方よりは一丈程に見え申候、折々大石など吹上候や、火の玉の如き塊ふもとに落下致し、亦震動は十八里程へだて候故か、折々聞え申候、同年七月下旬の頃までは火勢見え申候、其以後は唯煙り斗り見え申候、翌年の年〓は大嶋村に灰降り、田畑及山林共に埋り申候、又椿の木の如きは、人家近傍にあるの分皆灰に埋まりて屈折し、恰も雪折樹の如し、其他の木々も皆同様の姿となれり、野牛野馬等は食物なき故斃死す、又村より五里程よりたる岩穴より噴火するよし、後日に至りて承り申候、右は東浦御地頭稻葉美濃守様御内御代官安田勘左衛門御役所網代村に御居合せのとき、折々より故老を召し出され、昔もこのやうに噴火致したること有之やとの御たづねにつき、大嶋村より出生のもの御座候て、同人申上候は、六十一年以前にもかやうに噴火いたし候由申上候、又其節は伊豆下田海藏寺住職仙譽上人を大嶋へ招請し、三日三夜の間念佛御施行相成、其結願御法事の時に於て噴火をしづめ賜ふときく、又五十年以前にも噴火有之候共、其節は紀州高野山安〓狩法印此嶋に遠流の身として御出に相成候事故、右法印の加持祈祷によりて噴火静めたもうと云ふ、
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出典 | 増訂大日本地震史料 第1巻 |
ページ | 903 |
備考 | 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。 |
都道府県 | 静岡 |
市区町村 |
版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)
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