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項目 内容
ID J0100764
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1662/06/16
和暦 寛文二年五月一日
綱文 寛文二年五月一日(西暦一六六二、六、一六、)山城・大和・河内・和泉・攝津・丹津・若狹・近江・美濃・伊勢・駿河・三河・信濃等ノ諸國地大ニ震ヒ、人畜屋舍ノ被害夥シ、彦根・膳所・水口・淀・伏見・尼ケ崎・高槻・岸和田・亀山・篠山・小濱・桑名等ノ諸城破損セリ、近江比良嶽附近ハ震害特ニ甚シク、滋賀・唐崎ニテ潰家千五百七十戸ヲ生ゼリ、朽木谷附近ニハ山崩ヲ生ジ、谷ヲ埋メテ丘トナセリ、京中ノ潰家ハ約一千、死者二百、其他ノ死者六百ニ達ス、津輕モ地震強シ、
書名 〔西北紀行〕下
本文
[未校訂]○コノ書ハ、元祿二年二月、貝原篤信、益軒ト號ス、筑前福岡藩の儒、山城ノ西部、丹波、丹後、若狹、西近江、及ビ山城ノ北郡ヲ、八日間ニ遊覧セシ時ノ紀行ナリ、朽木、(荒川より一里半)巧木監物殿の居宅あり、橡生(朽木の南二里にあり、土人朽木橡生といふ、)細川、
温井村、此邊に昔は町井、柚ノ木といふ兩村あり、寛文二年五目朔日大地震の時、東の山崩れて村里を埋み、兩村の人皆死すといふ、東の山は比良の高峯の西側なり、又谷の西にも高山あり、其間に谷川流る、町井、柚ノ木は川端に在し村なりといふ、此邊も高島郡なり、篤信昔し京に在し時、彼里の男の、京に來り語るを聞けり、大地震せし日、我れ朝より山に登りて薪を伐る、大地震に愕きて里に歸りしに、山崩れて里は皆土に埋もれ、我が父母兄弟親類其外里人・皆土に埋もれて死ぬ、我一人死を免かれたりとて、泣く/\、語る、其南に坊村あり、坊村より山城嶺までは、志賀郡也、此邊を葛川谷といひ、朽木谷と同谷にて名を別にす、○下略
出典 増訂大日本地震史料 第1巻
ページ 828
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
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版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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