『今石動本行寺由来書』には「天正十三年十一月廿九日に大地震に而、木舟之城破裂、大雪大水城中へ押入、右近様御夫婦一所に御死去被成刻、小矢部川大水に而往来無御座、木舟清僧之諸宗無御座に付而、当寺第二世日長に、御子息又次郎様より御夫婦之御葬礼之義被仰付、焼香仕、(後略)」
---
また『三壷記』に「家たふるる事数しらず」とあるので城下の家もかなり倒潰したであろう、死者は何人くらいあったのかわからない。一書に、木舟城下の戸数二、〇〇〇、人口一万人としているがその1/2位が実数であろう。したがって倒潰二〇〇〜三〇〇戸、死者一、〇〇〇〜一、五〇〇くらいと予想される
---