今の馬込川は天竜川の本流になっていたので大天竜池田寄りの流れを小天竜と称していた。だから南北朝期迄では河口にある、白羽港は遠州灘での良港であった。延元三年九月十一日、宗良親王が暴風にあわれて同港に上陸なされた史実からも大天竜であった事が立証されよう。
浜名湖が今切れという異変で海に通ずるようになったのは室町末期、明応七年から永正五年にかけての数度の大地震があったからだ。この地震で北部天竜河沿いの山岳地帯には大小無数の山崩れがあった。その為に小天竜が大天竜に昇格、大天竜が小天竜に転落するというような大地変が起った。現在の馬込川の上流一帯は東の天王田面をはじめとする良田可能の沃土が突如として出現した。後年、浜松宿が発展したのは此の方面の裕富な人士に負ふところが多いのはその遠因がここにあるのだと言っても過言ではない。桑田変じて海となる言葉があるが河川変じて良田となるとでもいっておこう。