西暦、綱文、書名から同じものの一覧にリンクします。
項目 | 内容 |
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ID | J00002285 |
西暦(綱文) (ユリウス暦) |
1185/08/06 |
西暦(綱文) (先発グレゴリオ暦) |
1185/08/13 |
和暦 | 元暦二年七月九日 |
綱文 | 元暦二年七月九日(西暦 1185,8,13) |
書名 | 〔平家物語〕 |
本文 |
元暦二年七月、平家残りなくほろびて世の中静り、国は国司に従ひ、荘は領家のまゝなり、上下安堵して思ひし程に、七月九日の戌の時に、大地夥しく動きて良久し、おそろしなどいふも愚かなり、赤県の中、白川の辺、六勝寺九重塔よりはじめて、あるはたふれ崩れ、在々所々、神社、仏閣、皇居、人家、全きは一宇もなし、崩るゝ声は雷のごとく、上る塵はけぶりのごとく、天くらくして日の光りも見えず、老少とともに魂をけし、禽獣悉く心を迷はす、こはいかにしつる事ぞやとをめきさけぶ、或は打殺さるゝものもあり、打損じらるゝ人も多し、近国遠国も又かくの如し、山は崩れて河を埋み、海かたぶきて浜をひたし、巌われて谷にころび入り、洪水漲り来れば、をかにあがりてもなどか助からざるべき、猛火燃え来らば河を隔てゝも暫くありぬべし、たゞ悲しかりけるは大地震なり、鳥にあらざればそらをも翔りがたし、竜にあらざれば雲にも入がたし、心憂しともなのめならず、主上は鳳輦に奉りて、池の汀に渡らせ給ひけり、法皇は、其比新熊野に御参篭有けるが、折しも御花参らせさせ給ひけるに、人の家をを振倒して、人多く打ころされて、濁穢出て六条殿へ還御成にけり、天文博士参りて占申、占文かろからず、今夜は南殿に仮屋をたてゝ渡らせ給ふ、諸宮諸院も御所ども倒れにける上に、ひまなく振ければ、御車に召し、或は御こしに召してぞ渡らせ給ひける、公卿僉議有て御祈はじまる、今夜の亥子丑寅の時には、地打かへさんずると、御占ありなんどいひて、家の内に居たる人は、上下一人もなかりけり、戸をたて障子をたてゝ、天なり地うごく度には、唯今死にぬといひて、高念仏を申ければ、所々のこゑごゑ夥し、七八十、八九十の者も、いまだかゝる事おぼえずとぞ申ける、世の滅するなどいふ事は、さすがけふあすとは覚えざりつる者をといひて、おとなの泣きをめきければ、おさなき者共もこれを聞て、諸共にをめきさけぶ事、夥しなんどもおろかなり、昔文徳天皇の御宇、斎衡三年、朱雀院の御時、天慶元年四月に、かゝる大地震有けりと記せり、天慶には御殿を去て、常寧殿の前に五丈の幄屋をたてゝ、主上渡らせ給ひけり、四月十五日より八月に至る迄、うちつゞきて振ひければ、上下家中に安堵せずと承る、それは見ぬことなればいかゞありけん、この度の地震は、これより後もあるべしとも覚えざりけり、平家の怨霊にて、世のうすべきよし申あへり、十善帝王都をせめ落され御座して、御身を海中に沈め、大臣公卿大路を渡して首をはね、其首を獄門にかけ、異国には其例ありもやすらん、本朝には未だ聞かざる事なり、これ程ならぬ事だにも、昔より今に怨霊はおそろしき事なれば、いかゞあらんずらんとぞ泣合ける、建礼門院、吉田には去る九日の地震に、御棲も破れ果てゝ、築地も崩れ、あれたる宿も傾きて、住せ給ふべき御ありさまにも見えさせ給はず、頼もしき人一人も候はず、地うち返すべしなどきこしめせば、惜しかるべき御命にてはなれども、よの常にて消入ばやとぞ思召されける、緑衣監使、宮門を守る者、心のなき侭に、荒たる籬はしげき野べよりも露けくて、をりしりがほに、虫の声々に恨むも哀なり、
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出典 | [古代・中世] 地震・噴火史料データベース |
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備考 | [古代・中世] 地震・噴火史料データベースでは史料等級で分類しています。本データベースでは史料等級の低いものも表示しており、信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。 |
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