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項目 内容
ID J00002132
西暦(綱文)
(ユリウス暦)
1179/12/07
西暦(綱文)
(先発グレゴリオ暦)
1179/12/14
和暦 治承三年十一月七日
綱文 治承三年十一月七日(西暦 1179,12,14)
書名 〔平家物語〕
本文
新日本古典文学大系44、梶原正昭・山下宏明校注、一九九一・六・二〇 岩波書店、
法印問答(ほふいんもんだふ)
入道相国、小松殿にをくれ給て、よろづ心ぼそうや思はれけん、福原(フクハラ)へ馳(ハセ)下り、閉門(ヘイモン)してこそおはしけれ。同(おなじき)十一月七日の夜、戌剋(イヌノコク)ばかり、大地(だいぢ)おびたゝしう動(ウゴイ)てやゝ久し。陰陽頭安陪泰親(インヤウノカミアベノタイシン)、急ぎ内裏(ダイリ)へ馳参ッ(ハセ(まい))て、「今度の地(ヂ)震(シン)、占文(センモン)のさす所、其慎(ツヽシ)みかろからず。一当道三経(タウダウさんギヤウ)の中に、二根器経(コンキキヤウ)の説(セツ)を見候に、「年(三)をえては年を出(いで)ず、月をえては月を出ず、日をえては日を出ず」と見えて候。以外(もってのほか)に火急(クハキウ)候(さうらふ)」とて、はらはらとぞ泣(ナキ)ける。伝奏(テンソウ)の人も色をうしなひ、君も叡慮(エイリヨ)をおどろかさせおはします。わかき公卿・殿上人は、「けしからぬ泰親(ヤスチカ)が今の泣(ナキ)やうや。何事の有べき」とてわらひあはれけり。され共(ども)、この泰(ヤス)親(チカ)は、晴明(セイメイ)五代の苗裔(ベウヱイ)をうけて、天文(テンモン)は淵源(エンゲン)をきはめ、四推条(スイヂウ)掌(タナゴヽロ)をさすが如し。一事もたがはざりければ、五さすの神子(ミコ)とぞ申ける。いかづちの落(お)ちかゝりたりしか共(ども)、雷火(ライクハ)の為に狩衣(カリギヌ)の袖は焼(ヤケ)ながら、其身はつゝがもなかりけり。上代にも末代(マツダイ)にも有がたかりし泰親也(ヤスチカなり)。
出典 [古代・中世] 地震・噴火史料データベース
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備考 [古代・中世] 地震・噴火史料データベースでは史料等級で分類しています。本データベースでは史料等級の低いものも表示しており、信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
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