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項目 内容
ID H00010144
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1751/05/21
和暦 寛延四年四月二十六日
綱文 1751年越後高田地震(寛延四年四月二十六日)
書名 〔津川姿見〕
本文
一、宝暦元未年四月廿五日、越後高田領大地震にて人多く死す、この夜中津川も常ならざる地震なり、但し家は禿れず、土蔵共は壁皆々割る、新善光寺墓所の石塔九十三本倒る、五月朔日まで昼夜五、七度ばかり、毎日の地震なり、諸国一統の地震の由、その頃津川より参宮の者京都滞留のみぎり、二条の御城塀廻りの壁共残らず割る、愛宕山の石灯篭過半倒る、京都近辺共に毎日五、七度計りづつ廿日程の内地震、また、越後方は地方五寸、七寸位の口に割る、これは所々にて是の如し、別して越の頚城郡の内大痛み、能(のう)村という一在所残らず海へ山抜けて押出し、人馬残らず死す、今わずかに十二軒出来す、鉢崎村の辺所々山抜けて往還痛むなり、高田の城下共数百軒倒る、誠に大地震なり、あらましを記すなり
出典 ひずみ集中帯プロジェクト【古地震・津波等の史資料データベース】
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